2016年12月20日

上里一将の思い出。

上里一将という選手をきちんと認識したのは2004年も末。
泥沼のようなチームで、みんながその試合に1つでも良いこと探しをする必要があった時だ。
その年の天皇杯、くそ寒い室蘭入江で、恐ろしく巻いたミドルシュートを見たときに、
来年はもしかしたら、この上里という選手が起こしてくれる何か良いこと、それがあるのかも知れない、そう思った。
同期には智樹や桑原と言ったある程度スタメンででられる(というよりはでざるを得ない)高卒選手がいる中で、
上里が目指すべきプレイスタイルはどのようだったのかを知るすべはない。
ただ言えることは翌年の2005年、恐ろしく伸びていく上里を見ることになるのだ。

2005年J2第18節横浜FC戦、この試合の上里は輝いていた。
試合自体は防戦一方の試合で中山元気と上里のゴールで勝っているのだが、
正直元気のゴールは覚えているものの、上里のゴールはさっぱり覚えていない。
しかし上里の一本のパスを覚えている。左サイドのオープンスペースに向けて出した、
回転とスピードもさることながら、「中山元気様」と書いた宛名がついたパス。
このパスをスカパーで見ていてひっくり返りそうになった。
こんなパスが出せる選手が札幌にいることを。(そして本当はこういうのを智樹にやって欲しかったわけだが)

この6月ぐらいから上里の伸びはすさまじかった。
チーム成績もそれなりに伸びて、
第26節までにチームは3位、2位アビスパまで勝ち点4と言うところまで来ていた。

上里はトップ下としてこのままなら左足一本で世界が見える所まで、
今シーズン末にはどっかに引っこ抜かれたら困るぞ、
と言えるまで来ていたはずの2005年J2第27節、8月20日。
別に誰が悪いわけでもない、雷雨順延。
その後帰札して行われた、21日札幌ドームサブGでの練習試合。
ここで上里は左ひざ前十字靭帯損傷の大けがをしてしまう。

結局の所、僕らが思った世界ははるか遠くに行ってしまい、
上里はこの後11ヶ月のリハビリに入る。
結局彼は、これ以降、トップ下ではなくボランチ・サイドハーフとしての選手になっていく。
それは膝のケガから見ても致し方ないだろうし、
チーム事情もあったであろうし、とはいえ、
以前の輝きを抜群に取り戻すことは年に一度か二度、と言った選手になった。
ただそれは、彼の得意な中距離のフリーキックであったり、
2009年の福岡戦、推定65mのロングシュートだった。

その後FC東京・徳島ヴォルティスへの2年のレンタル移籍の後、
また札幌に戻ってきた。
札幌に戻ってきてからの彼に対する口性の無いコンサドーレサポータの評からすれば
展開が遅くて持ちすぎだ、と言うことになるのだろうけど。

今シーズン、
http://www.55ft.co/2016/07/blog-post_15.html
コンサドーレ札幌MF上里一将の展開力が半端ない (河童戦術)で、紹介されたとおり、
展開力と視野はまだまだ衰えてはいない。
っと熊本でも力になってくれるであろう。

僕が知っていた彼は、まだ18・19の高卒選手で有り、
現実の彼は30になるベテラン選手である。
プロ10年選手としてやってきたことに驚嘆を隠せないが、
それは、柳下監督が、上里を見たときに
「どこの田舎から連れてきたのか知らないが、サッカーの基礎すら知らない」と評した
その言葉を覚えているからだろうか。
2004年、あのシーズンを共に過ごした戦友として、彼には出来るところまでやって欲しい。
それが上里一将に世界を見た者としての言葉でもある。