財前恵一の思い出。
コンサドーレ札幌アドヴェントカレンダー企画
企画にのったは良いけど、何書くか決めてなかった、ってことで、
今年チームで批判の矢面に立った人、財前恵一の話をば少々お付き合い下さい。
(なお筆者は室蘭大谷OBでも何でもありません)
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財前恵一(サッカー界隈では弟宣之のほうが有名ではあるが)は、北海道のある年代より上の人たちは財前と言えば室蘭大谷出身のサッカー選手、と知っている。
僕の中学生の時は室蘭大谷の第二期黄金期で、「財前ギャル」が発生し、高校サッカーの試合会場で所属学校以外の女子高生の入場が規制されるとか訳のわからんフィーバー状態が発生したこともあった程の有名人だった。
前恵一は高校卒業後、日産へ。怪我に再三泣かされ続けたそのときのエピソードは、何度も僕が財前を紹介するに当たって引用しているが、このコラムである。
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「それで」......で、腕をバシッ、「ザイゼン君は、」で、今度は足首をバシン、「だからね、説得はしたんだよ、あんな説得は初めてだったけどさあ」で、ついに森孝慈ゼネラルマネジャー(横浜M)もバチッ、と、森GMとわたしは、自らの手足をビシバシひっぱたきながら、獅子ヶ谷グラウンドのベンチで話していた。なんで、こうビシバシ、とせわしなく擬音が入るのかと言いますと、夏の夕方の獅子ヶ谷ほ、ヤブ蚊の天国と化すからなのだ。
森GMは、血中アルコール度が高いため! シャツの上からも刺される非常事態に陥り、取材は途切れがちではあった。それでも、何故、財前恵一選手(27、MF)が、急に、選手登録を抹消したのか、その経緯は知ることができた。市販のニコスシリーズ用プログラムに彼の名前も入っていることからも、いかに急なことだったかがわかる。
財前宜之君(18=川崎)、つまり恵一の弟の方は、セリエAラツィオのプリマベーラ行きが決まっている。
偶然にも、この華々しいニュースが出たのとほぼ同じ時期、兄はじつにひっそりと、最愛のチームを去った。
昨年、当時JFLの柏に移籍したが、左アキレス腱を切断。手術後、リハビリに明け暮れた。オフには戦力外通告を受け、1年で古巣に移籍。入団発表では「マリノスの御恩は一生忘れません」とあいさつし、記者や関係者の爆笑を誘ったが、このとき本人は笑ってはいなかった。不運にも、今度は逆足のアキレス腱を切り、またも手術とリハビリの生活に戻った。しかしクラブは、第2ステージの契約続行を決め、あとは本人のハンコを押すだけだったという。
しかし契約書を前に、財前は「契約は第1ステージのみでした。十分助けてもらいましたし、もう心苦しい。あとは1人でできるところまでやってみます」と、頭を下げた。森GMは面食らった。「辞めるという選手に、いいから早く契約書にハンコを押せよ、と説得するのは初めてだった。でも男が、それも1人のプロ選手として決めたことなら、それも尊重せねばならない」と、ついに登録抹消を決めた。今は1人で、黙々とトレーニングを続け、もう一度プレーする日を待っているはずだ。
プロには、人事異動の激しさはツキものだ。引退、移籍、トレード、解雇......。「何でもあり」、が、この世界のたったひとつの掟といえる。記者ならば、誰だっていちいち驚いたりはしないし、もう慣れっこになっている。それでも、財前のようにあたり前のように取材していた相手が、急にいなくなるのは、なんとも拍子抜けするものだ。
(後略)
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北海道の生んだ、天才にして不世出の財前恵一というサッカー選手が、
実はこんな孤独な戦いを経て、東芝サッカー部からコンサドーレ札幌と名を変えた札幌のチームに戻ってきた。
この地で、彼がどんな活躍をするか。
このとき、財前ブームから10年だったが、シーズン半ばに引退を発表し、育成のコーチになることが発表された。
そして1999年。僕はこの年から2002年ぐらいまで、ほぼ毎週のようにユースを応援していた。
この年U-18のコーチになったのが財前だった。保坂さん(現甲府アシスタントコーチ)が監督で、財さんはコーチ。
でも、ユース生の親から評判があまり良くなかったことは耳に届いていた。
練習を自分で考えてやりなさい、と言う指導方法で、貧乏チームに月謝まで払って通わせている親から見れば、何のためにいるコーチなんだ、と言う話だったようだ。
それと、怪我をした選手は基本的に軽い怪我でも無理して起用はしない。これは基本的に育成段階だから当然とは言えるが、先週の試合と今週の試合のスタメンは当然のように変わるし、怪我で抜けた穴をどう埋めるのかは、あくまで怪我がなく練習で調子が良くて動けてた選手から構成されていく。もちろんどう戦わなければならないかの指導はするが、サッカーをするのは選手
このやり方はこのあとトップチームコーチが終わる迄続いた。
2001年。保坂さんが札大に行き、監督は財さんは監督に、ユースのコーチはU-15コーチから及川コーチ(現室蘭大谷サッカー部監督)という布陣になった。これまで夏のクラブユースがそれこそそのシーズンの強敵と初めて顔を合わせるような状態で戦われていた時代、初めて予選リーグを突破し、そしてあれよあれよという間に決勝トーナメントを突破して決勝の舞台に立った。
特に。決勝トーナメント1戦目の広島戦、新居の足首が完調ではなく、代わりに起用した控えFWのH君の起用がずばりと当たって勝てると思わなかった清水戦を勝ち上がり、準決勝の京都を下して決勝までたどり着いたのだった。
この決勝に上がるまでに札幌は福島の熱さによる遠征疲れ、そして怪我に殆どの選手が満身創痍という状況で、FC東京を下すことは出来ず、(新居がふてくされながら鹿島の青木と握手するし大会MVPトロフィーを受け取っている姿を見つつ、「あいつ青木って知ってるのかな」とかバカなこと言っていた気はするが。)その夏は終わった。
「財前監督」になって僕らが知ったのは「勝負師」「博打打ち」要素の強い、とても驚く起用法が多かったことだ。
坂監督は、石橋を叩く感じの打つべき一手をここで打つタイプの起用であり交替であった。しかし財前監督は、びっくり箱の様な起用・采配をする。だから勝つときはかなり効果的に劇的に勝つ。でも負けるときは、それはもう惨敗と言うほどに負ける。
勝つときの派手さの裏には、好調な選手の見極めに絶対の自信がある様に思うのだ。彼の見える選手の動きが彼の思うとおり動けば勝ちに、動かなければその目算は一気に崩れる。もちろんどんな監督でも同様であろうが、財さんの采配はそれがあまりにも顕著だった。それが育成の監督としてそれが良いのか悪いのかは判らない。
、明らかにトップチームの、それも監督に向いているよな、というのは僕らの感じたことだった。
たぶん、コーチには向いてない...それは2004年、トップチームのコーチに就任してからの彼の評判が現していた。
「教えない」「何もしていない」
練習見学の常連から漏れ聞こえるのはその声だった。
2004年は今考えても、しょうもない陣容の年で、札幌史上、一番所属選手の少ない年であった。
http://qwe.cx/consa/sensyu-idc.html (2004年を参照)
事実であったであろう。教え魔と言われたほど「サッカーを教えること」にかけてはたぶん、Jリーグでも三本の指に入るような情熱を持ってやってくれるトップチームの監督と、教えないことトップチームコーチ。その二人三脚はあまりうまくいかなかったのかもしれない。今回の財さんのトップチーム監督就任の話が出たときに、そこここで「あの人が」「えーっ」と言う声が上がったのは知っている。でも僕はそれで良いと思っていた。
話は変わって、コンサドーレ札幌の育成部門というのは室蘭大谷人脈を基礎としていて、昔から三浦雅之氏(現ノルディーア北海道監督/愛称はタマさん)を筆頭とした大谷人脈がある。
まぁ、あったからといってだからどうしたと言うこともないが、コンサドーレのS級推薦枠は先に出た保坂さんが取り、森下さん(現ツエーゲン金沢監督)が取り、そのヒエラルキの一番上にいたタマさんではなく、財前に枠が与えられた。その頃タマさんはトップチームのコーチであり、動けなかった分も加味してであろうし、ある意味、タマさんではなく財前が次時代の監督候補であると言うことを路線としてチームが決定したのではないかと私は推測する。
森下氏がジュビロを経由して福岡のトップチームコーチから強化部長に就任したとき、財前がアカデミーU-13の監督として招聘された。その後、U-18が宮杯のプレミアリーグに昇格した年にU-18の監督に就任。
ここでの評判はよくは知らない。
そして2012年12月13日、財前恵一はコンサドーレ札幌の監督として契約を交わした。
案の定2013のシーズンは勝ったり負けたりを繰り返し、その度に監督が矢面に立った。
シーズン中盤からなんとか持ち直して最終戦でPOに届きかけた手は滑り落ちた。
財前恵一は来年もコンサドーレ札幌の指揮をするという。
僕が見てきた財前恵一なら、来年もまた、天才肌で、勝負師で、負けるときはベタに負けてを繰り返し、それでいてチームは伸びていくんだろうなぁ、と思っている。今の若手は身体を動かしながらと頭の中のサッカーがだんだんつながってきている段階だと思う。だからこそ、自分で考え、自分で身体を動かすことが何より必要なんじゃないかと思えてくる。その監督に教えない財前と、それを埋める名塚コーチと古邊さんはちょうど良いバランスだと思うのだ。
昔から、熱しやすく冷めやすいだとか、強いモノ大好きとか道民の気性が言われるけど、そういった北海道の良いところも悪いところも全部背負って、道産子監督と道産子の選手でJ1に上がって、アジアチャンピオンにならないとダメなんじゃないかと僕は思う。そのチームの監督に、財前恵一はよく似合うよ、きっと。
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